フリーランスのヘアメイクとしてスタートした頃にちょうど始めたので、私のフリーランス生活がすべてここに綴られてると言っても過言ではありません。
2006年に産まれた長女の幼い姿も今では懐かしい…(笑)可愛かったなぁ〜(^^)
2008年には息子も産まれ、その事もたくさん書きました。
2009年には独立をして、2011年には神社デビューをして…(笑)
ですが、最後の方のは家族の病気のことを書くようになってたんですが…なんとなく…続きが書けなくなっちゃったんです。エネルギーが変わっちゃったのかな〜???
なので、昨年新しく別のブログを立ち上げました。仕事の事とスピリチュアルな事が中心のブログです。もし良かったらそっちにも遊びに来てくださいね(^^)
【魂の声がYESという方へ。自分のココロに正直に】
]]>代表の中谷綾乃さんのFacebook記事をスクショ(笑)
私も前々から事務代行というか事務作業を誰かに手伝ってほしくて。でも何をどう頼んだらいいのか分からなくて、結局は自分でやってしまうから時間も足りず仕事が進まず…(>人<;)
そんな話を綾乃さんとしてたら、こんな素敵な講座を開催することになりました!
在宅で事務代行のお仕事がしたい方は、ぜひ一度こちらにご参加してみてください。
https://ameblo.jp/ctc-cc/entry-12367645485.html
私の苦手な事は、誰かの得意な事。
私の得意な事は、誰かの苦手な事。
みんなで得意な事をやりあうチームになろう♡そしたらみんなで楽しくお金が稼げるようになるよね(^^)
]]>8/5の軽い脳梗塞の入院から数えて7ヶ月と1週間。長い入院生活を終えて、これからは自宅での生活が始まります。
8/11の夜に脳内出血を起こし(左右被殻出血)で右半身麻痺になりましたが、現在は4点の杖で歩行できるまで回復しました。
リハビリ病棟に転院してからは、お医者様や看護師さん、理学療法士さん、作業療法士さん、言語聴覚士さんのおかげで、みるみる回復しており病棟スタッフさんたちも驚いているそうです。
夫の友人が車で迎えに来てくれたので、お願いして谷津保険病院に寄ってもらいました。
ちょうどお世話になった先生もいらしてお話できたり、リハビリ担当のスタッフさん達にも会えました。
一番お世話になった看護師さんが見当たらなくて、会えないかな〜と思ってたら…
車に乗る直前に、お昼休憩から戻ってきた看護師さんとバッタリ!会えてよかった〜(^^)病棟から外来に移動になったそうで、タイミング良く会えてラッキーでした。
そして、軽い昼食を取ってから帰宅。
2月にソーシャルワーカーさん、理学療法士さん、作業療法士さん達と一緒に夫が一時帰宅しまして、自宅で使う福祉用具の確認をしました。
お風呂のスノコ、入浴台、バスボード、トイレの手すりや嵩上げ便座、介護ベッドが必要という話になり、後日スノコのサイズを測りに群馬からメーカーさんが来たのには驚きました。
ちょうどその前に友人が使わなくなったお風呂用介護椅子や滑り止めマットを譲ってくれた事もあり、なるべくそれを使う方向で話をしましたが、病院のスタッフや福祉用具の会社の方は「安全」を第一基準とするためなかなか意見が合わず…(笑)
介護保険は基本的にお年寄りの介護を前提としているので、とにかく危なくないように安全な状態で使えるかどうかを考えています。
お風呂なども基本は「見守り」の状態で1人で入浴出来るように、入浴台やバスボードなど段差をなくした状態になるようなアイテムを使います。
…なんですが。
過去に脳梗塞の母と生活してた私からすると、「意外と出来るじゃん」ということが多く、至れり尽くせりの介護用品があるよりは多少不便なくらいの方がリハビリになっていいんじゃない?という鬼嫁的発想もあり、まずは介護ベッドは使わず、家に今あるものを活用する事にしました。
夏に夫が入院したのを機にマットがヘタってた13年もののダブルベッドを処分し、シングルベッドを買いました。
ところが、安いから…で飛びついたらなんと二段ベッドの上部分でして(^◇^;)左右に柵が付いてたんですね〜。
まぁ「私はまたげるからいいか」と思って買ったんですが、よくよく考えたらそれを退院してきた夫に使わせるのには少々無理があり…かといって介護ベッドを入れたらこのベッドは部屋に置けないし、処分するのはまだ勿体無いし…と思って、柵を一部切ってみました(^^)
頭の方の隙間がある部分が不安定なので、切った柵を調節してみたら…
ピッタリ(*≧∀≦*)
うーん♡私って天才!って1人で夜中にもりあがってました(笑)
そして翌日にホームセンターで固定用の金具を買って取り付けたのがこちら
体重をかけてもビクともしません(笑)
今日、福祉用具会社の方に見せたら「まさかここまでやるとは思いませんでした」と驚かれて(^^;)
実際、退院した夫に使ってみてもらったらバッチリ!という意見だったので、これで介護ベッドは無しで大丈夫そう。
結局、福祉用具はトイレの手すりとかさ上げ便座だけ手配しました。
お風呂はまたちょっと工夫してみます。
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※家族の介護をブログにしたためてます。
肺ガンを患った父は、しばらくすると少しづつ身の回りの事を整理し始めました。
うちの父は自営業でブロック積んだり、カーポートやベランダ作ったり、いわゆるエクステリアの仕事をしていて。
そのおかげで私は幼稚園の頃から休みの日に父の現場について行って、セメント捏ねたり、ブロック塀の目地切りしてました。(←コレってかなりスゴイ事らしいw)
千葉県の印旛沼近くに資材置場用の土地を持っていて、そこにトラックや発電機、ブロックやセメントなど仕事に必要なものが一式置いてあり、それをしまうトタン屋根の掘っ建て小屋は父が自分で建てたもの。
子供の頃はそこで遊ぶのがすきだったな〜!セメントの材料で砂を大量にストックしてあるので、私からしたらそれはもうマイ砂場!!1人で黙々と遊んでました。←さすが1人っ子。誰もいなくても独りで遊べます。
いらない廃材を燃やして焼き芋したり、春にはゼンマイやワラビを母と一緒に摘んでみたり、竹やぶもあったのでタケノコも取れてた気がする!
ローラースケート持って行って、1人で印旛沼公園まで行って滑ってりしたっけな〜。…今思うと怖いけど(^^;)
入退院を繰り返していた父は、さすがにもう体力仕事は出来ないし、土地を売ろうと思ってた頃に、ちょうど土地を探している人と出会ったらしく、すんなり売れて喜んでました。そのあと「こんな機会は滅多にないから」って帯のかかった札束も見せてもらいました(笑)
私は母がなんとか工面してくれたお金で東京・代々木の美容専門学校に通っていて、1学期が終わる事にクラスメイトから紹介されたメイクスクールにも週一で放課後に通ってました。
そのメイクスクールは生徒を口コミでしか取らないというこだわりの先生で技術レベルも高く、基本のコースが終わる頃に上級者コースに通うかどうか迷ってた時。
授業で使うスタインという海外のメイク道具を揃えなくてはならないんですが、それが当時16万くらいして、親に反対されて諦める人も多かった様なのですが、うちの父は「それがお前の仕事に必要ならば買え。仕事をする上で道具は必ず必要になる」と言って、購入してくれました。
多分、父も自営で道具が無いと仕事が出来ないので無理して購入する事も多かったからなんだろうなぁと思います。
あと、18歳の春から教習所にも通わせてくれて、夏ごろには軽自動車も買ってくれました。私の友人からのおさがりの中古車ですけど。
その頃は父も再就職をして、体力をあまり使わない警備の仕事をしてたので、そこそこ収入もあったみたいです。
相変わらず母は泊まり込みで仕事してたので、家には私と父と祖母で生活してました。
もともと私は父が大好きで小さな頃から父にばっからくっついてたみたいです。
流石に中学生くらいの頃は多少の反抗期もありましたが、それでも大して逆らうこともせず、仲のいい親子だったと思います。
専門学校を卒業して、美容師になった一番最初のお給料を渡した時、父から手紙をもらいました。
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♪永遠を〜夢見ていた〜♪あの日を〜今〜♪って、また歌いますけど(笑)ほんと歌詞の通り、永遠に続くと思ってたんですよ。平和な時間って。
※親の介護の事をブログにしたためてます。
母が病院に問い合わせした数日後、先生に話を聞くために泊まりの仕事から帰ってきました。そして病院で言われた事を改めて私に話をしてくれました。
…結論は…
肺にカビが生える真菌症(しんきんしょう)。それと一緒にガン細胞も見つかったという話。
「今すぐって訳じゃないけど…とりあえず、覚悟だけはしておこうね」そう母に言われて、呆然とうなづくしかなかった17歳の私でした。
父には言わないという事で母と合意をし、それからはお見舞いに行っても悟られないように、明るく振舞ってました。
…もしかしたら…どんなに辛くてもそれを表に出さず、相手に悟られないように笑顔で明るく振る舞うクセはこの時に身についたのかもしれない…( ̄▽ ̄;)
それでも高校2年生の娘が、学校帰りに毎日のように病院にお見舞いに来るので、看護師さん達に「仲良いですね〜」なんて言われてました。
当時、父は65歳だったので、ハタから見ると孫とおじいちゃんに見えたのか「え?娘さん??」なんて驚かれたりもして(^^;)
それでもやはり、抗がん剤の点滴とコバルト照射(放射線治療)が始まると、頭髪が抜け嘔吐に苦しむ父の姿を見る事が出来ず、父も弱ってる姿を私に見せたくなかったのか、しばらく落ち着くまで母にもお見舞いを止められてました。
この頃は、父が亡くなってしまうんじゃないか…そうしたら母と私はどうしたらいいんだろうか…17歳の自分に何かできる事はあるんだろうか…と漠然とした不安を抱えていたように思います。でも高校生の自分に出来ることなんて何もなくて…自分の無力さが歯がゆかったですね。
あ〜…そうか…「私は役に立たないと存在する意味がない」って決めたのはこの頃なのかもね…(^◇^;)
半年ほどすると父は退院して家に戻ってきましたが、完全復活というわけでもなく、家で療養してました。あまり体調もすぐれず、数ヶ月にはまた短期の入院をしたりして、私はずっとハラハラしてたかな…。
気がつくと私も高校3年生になっていて、自分の進路を考えなければいけない頃。
私は小学生の頃から「美容師になる」と言っていて、くるくるドライヤー全盛期にあえてそれを使わずロールブラシとしょぼいドライヤーで形を作っていたり、母の白髪染めをやってお小遣いをもらっていたり、美容院で見よう見まねで覚えたブローをお出かけ前の母の頭にやったりと、とにかく美容師になる事ばかりを考えてました。(一度、服飾に進もうかと考えた時もあったけど…w)
専門学校に進むのに当然お金はかかるわけで、実際のところ本当にそこに進めるのかという不安もぬぐい切れず。
母と県庁まで出かけて奨学金の事も調べたけど、一年制の専門学校には出ないとか、大学しか対応してないとか。
友達は「別に行きたい所とかないんだけどさ〜、とりあえず親がお金だしてくれるっていうし、適当に専門でも行っとこうかなぁ〜」なんて言ってるのに、「私は行きたい所があるのにお金が無いから行けないの??」って悔し泣きをしたら、母が「お金はなんとかするからアンタは行きたい所に行きなさい」って言ってくれて。
もうね、同級生はうらやましいを通り越して、ムカつきました(-_-;)
自分が恵まれた環境にいることにすら気がつかず、甘えたこと言ってる人とか、文句ばっかり言ってる人とかね。
そうやって周りと自分の違いをまざまざと見せつけられ、大変な状況を乗り越えるために少しづつ強くなっていく。
でもそれを続けて行くと、色んなモノを抱え込んで行くことが当たり前になるんですよね。
友達に話しても理解されない。経験していない人にはこの辛さは分からない。
そんなことを積み重ねていくことで精神的にも大人びていき、誰かに頼るということより自分で何とかしていくことを選んでしまう。
この頃からだんだんそうやって生きてきたんだな〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
23歳の時に末期ガンの父(当時71歳)を、35歳の時には認知症の母(当時78歳)を、そして今現在は夫(51歳)の介護(入院中)の経験をブログにしたためることにしました。
1)愛しさと切なさと…
2)愛しさと切なさと(2)…
介護についての感想やご意見など、コメントまたはレターポットでいただけると嬉しいです(^^)
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♪遠い〜空をあの日〜眺めていた〜♪やりかけの〜青春も〜♪経験も〜そのままで〜♪
いきなり歌うなよって感じですが(笑)いや、まさにこの歌詞そのまんま。やりかけの青春って感じで、私の波瀾万丈な人生の始まりは高校2年生の春に突然やってきました。
1年生の春に私が交通事故で右膝骨折して、翌年は父が咳が止まらないので検査入院する事になり「我が家は4月になんかあるのかね〜?」なんて言ってたんですが、まぁその数日後に電話がかかってきたんです病院から。
当時母は付き添い家政婦と言って、今で言うヘルパーさんみたいな仕事をして病院に泊まり込みで仕事をしてました。(家族の代わりに患者さんのお世話をする仕事があったんです)
はい。この時点で既に普通の家庭ではない様子が伺えますね(笑)
うちは父が自営業で、ブロック積んだりカーポート作ったりするいわゆるエクステリア(外構)の仕事をしていたのですが、やはり自営は収入に差があるため、割と母は私が小さい頃から働いてました。
昔はマネキンと言ってスーパーなどで食品の試食の仕事をしていましたが、私が中学2年生くらいから付き添い家政婦の仕事を始めて、病院の泊まり込みで20日間くらい帰ってこない事が多かったんです。
で、家にいた祖母が病院からの電話を受け、たまたま私が公衆電話から帰宅の連絡をした時に「病院から電話があって、家族の人に話したい事があるんだって」と言われました。
祖母は当時80歳で、ご飯の支度とかはしてくれたんですが、細かいことは分からないから…と言われ、私が病院に電話する事に。
母が仕事で不在なので代わりに電話したと伝えると、電話の向こうで先生が「娘さん…いくつ?」と聞くので「17です」と答えると、「うーん…17歳かぁ…。うーん…お母さんの方がいいなぁ…。お母さんと連絡取れる??」というではありませんか。
一旦は電話を切ったけど、「家族に話がある。本人には言わない。17歳の娘には話せない。」それはつまり…???と悶々としながら帰宅します。
当時は携帯なんて無い頃ですし、母が泊まり込みをしている病院に電話して、自宅にかけてくれるように伝言を頼みます。
しばらくして母から電話がかかかってきたので一通り事情を説明して「分かった。病院へ連絡してみるから」というは母の言葉を聞いた途端、こらえていた想いが口から溢れてきて「お父さん死んじゃったらどうしよう!!」と電話口で泣きました。
私、小さい頃から父が大好きで、やたらと父に引っ付いてたり、母よりも父と話すことの方が多かったんです。(まぁ、中学生の頃は流石に敬遠してた時もありましたけど)だから、父が死んじゃうかもしれないって事がとても怖くて…。
だけど母は受話器の向こうで「大丈夫よ。とりあえず病院に連絡してみるから」といって電話を切りました。
その時に、母って動じないんだなぁ…って感心したのを覚えてます。
ちなみにうちの母のは昭和6年生まれで、戦争経験者です。小石川に住んでいたので、空襲を避けて新潟に疎開したと言ってました。父は大正15年で北海道出身ですが、海軍の予科練に入ったので横須賀にいたそうです。戦争があと数日延びてたら出撃してたかも…なんてよく話してました。
まあ、そんな経験してたら多少のことじゃ動じませんよね(笑)
私は父が47歳、母が42歳の時に生まれました。今でこそ40代の出産は珍しくないけど、45年前はものすごく珍しく、30歳でマル高(高齢出産)って言われてた時代です。結婚自体も遅かったけど、8年間子供ができなかったみたいです。(1人目はかなり初期の流産をしたとは聞いてましたが…)。そんな高齢の両親のものとに産まれた一人っ子の私は小さい頃は人見知りでおっとりしててぼ〜っとしててドンくさかったらしいです。
23歳の時に末期ガンの父(当時71歳)を、35歳の時には認知症の母(当時78歳)を、そして今現在は夫(51歳)の介護(入院中)の経験をブログにしたためることにしました。
介護についての感想やご意見など、コメントまたはレターポットでいただけると嬉しいです(^^)
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このタイトルを聞いて「心強さと」って答えたあなたは、篠原涼子ファン?小室哲哉ファン?はたまたストツー(ストリートファイター2)のファン?(笑)
なんてことはさておき、2018年も始まってまもなく1ヶ月になります。
私も10日ほど前に誕生日を迎えまして45歳になりました(笑)私的に年齢を公開する事になんの抵抗もないんですが、90歳まで現役を目指す私としては、折り返し地点に来た感じです。
そんな私の誕生日から数日後に、小室哲哉氏の引退会見。思わずテレビに向かって「うそー!!」と叫んでしまいました(^^;)
特に小室ファンではないのですが、やはりTKブームの恩恵は受けてた世代なので…(笑)しかもね〜…KEIKOが高次脳機能障害と聞きましてね、他人事ではないなぁ…と。
うちの夫も8月に軽い脳梗塞→左右被殻出血(いわゆる脳出血)を起こしまして、半身麻痺になりましたので、高次脳機能障害も併発しているわけでして…(^^;)
現在は入院中なのでこれといってまだ大変さは体感しておりませんが(あ、入院費はものすごい事になってまして、そっちは大変ですよ〜〜( ̄◇ ̄;))
KEIKOさんは身体の障害は出なかったそうなので、余計に辛いだろうなぁ…と。見た目は普通なのに会話がままならないってパートナーとしてはかなり辛いと思うんですよね…(−_−;)
不倫云々を肯定するつもりはないですが、小室さんが1人で抱えるには辛すぎる介護の現状があるなぁとしみじみ感じました。
私も23歳の時に末期ガンの父(当時71歳)を、35歳の時には認知症の母(当時78歳)を、そして今現在は夫(51歳)の介護(入院中)の経験があるので、身内の介護の辛さは体験済みでございます。
父の時は約5年の闘病生活を経て、一度は社会復帰したものの、最終的に自宅介護を1ヶ月おこなって旅立ちました。しかも葬儀屋さん無しで葬儀をするというレアな経験をしております。
母に関しては、父が亡くなった3年後に脳梗塞で倒れ、母1人子1人の状態で働きながら介護をしてたんですね〜。当時はまだ介護保険が始まってなくて、色々と大変でした。
先日夫の介護認定が出たので、ケアマネージャーを決めるのに、船橋の福祉業界で知らない人はいない某施設のスタッフ〇〇さんに相談した際、「そうまさん、その年齢でそれだけの介護経験があるってかなり貴重だと思う。その体験談をどこかで話したらいいんじゃない?」と言われまして…(^^;)
私にとってはもうネタでしかない波瀾万丈な人生をまずはブログにでも書いてみようかと思って、ここに記す事にしました(笑)
相当長い文章になるので(笑)小出しにしていきます。
気が向いた時と時間がある時にしか書けないので、気長にしたためてみますね〜〜(^^;)
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年末年始は仕事が続き、そのまま成人式へ突入して、1/7と8の早朝からのお仕事を終え、気が抜けた途端に風邪をひきました(笑)
特に仕事がなかった10日間は、のんびりボーっとして過ごしてたくらいです。
20日からお仕事が再始動してますが、お仕事に関してはそれぞれのHPに記事をアップするので、このブログはもっぱらプライベート用になりつつあります。(^^;)
相模原から、きうちみほさんをお招きして行う「自分で作れるアンシェントメモリーワークショップ」を開催したり、
子どもたちと近所の餅つき大会に参加したり、
打合せを兼ねて、幕張baseに初めて行ってみたり、
キッシュとコーヒー美味しかった(^^)
打合せのお相手はアップルパイ頼んでた(^^)
従姉妹に誘われて、普段なかなか入らない所へ連れて言ってもらったり、
お誕生日のお祝いのお花をお友達から頂いたり、
自分で買ったケーキで子どもたちにお祝いしでもらったり、
あっという間です(笑)
JUGEMテーマ:旅行
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毎年、夏になると神社巡りをする我が家。2011年の夏に箱根神社に行った時からその流れは起きていて、2014年から富士山本宮(静岡県富士宮市)と新屋山神社(山梨県富士吉田市)にも参拝し始めました。
それもなぜかお盆あたりに行くことが多いんですよね〜。いきなりふと行きたくなっちゃって、「明日行くよ!」くらいの勢いで行っちゃう(笑)
今年は夫が8/5から軽い脳梗塞で入院してしまったけど、12日には退院できそうなので、思い切ってその前に仲良しのウェディングプランナーの薬師神綾さんを誘って行ってきました。
前夜にレンタカーを借り、薬さんをうちのサロンに泊めて、朝早く起きて子どもたちにサンドイッチを作ってもらい、5:30には船橋を出発しました。
…なのに…なのに…うっかりカレンダーを見ていなくて…大渋滞にハマるワタシたち…。
そう!!まさかの連休初日!!8/11の山の日(祝日)お盆の帰省ラッシュです!!(T ^ T)
サクッと静岡まで行って富士山本宮浅間大社に行ってから、山梨に回って新屋山…と考えてたのに、東名高速がまったく動かず…(ー ー;)
思わず川崎で降りてしまい246号線をひたすら走る…。だけどみんな考えることは同じなんですよ。…246も動かないの( ; ; )
やっとの事で新屋山神社に着いたらもう12:40。お昼過ぎてます(ー ー;)
しかも久しぶりすぎて駐車場の入口が分からなくてウロウロしちゃうし(笑)
それでもやっぱりココは素敵。
以前と違って今は靴を脱がずに参拝します。その後に向かって左側にある「お伺い石」を試してみました。←これも前は無かったんですけどね??写真撮れなかったので、ないんですが…。
富士山の形をした溶岩石を始めに「よろしくお願いいたします」と言って一度持ち上げます。その後に石に額をつけてお伺いしたい事を聞き、また石を持ち上げます。最後は「ありがとうございました」と言ってまた持ち上げます。
2度目に持ち上げた時が軽かったら、そのお伺いした事は叶うんだそうです。重さが3回とも変わらなかったら叶わないとか。
境内のお社をひととり参拝させていただいた後にみんなで記念撮影。
新屋山神社は大山祇神(おおやまつみのかみ)という山の神様。
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と磐長姫(いわながひめ)のお父さんです。
今回は薬さんが初めてだったので、浄化の雨が降ったり止んだり。うっすら霧も出てます。
参拝する人もやはり多く、みんな金運神社のご利益を求めて来るんですかね(^^)
階段を下から。霧のおかげで神々しさが増してます
この鳥居はやっぱり独特の雰囲気を持ってるよね。
そのあとは車で移動して富士山の2合目にある奥宮へ。
一昨年まではストーンサークルがあったんだけど、富士山が世界遺産になった事で人工物は置けないらしく、神主さん?が地下に埋めてあるって言ってました。
いつもはあまり感じなかったんだけど、今回はクラクラするくらいエネルギーが強かった。ライオンズゲートの閉じる前だったからかな??
山の中なので先ほどよりも霧が増し、またもや異次元に入った感覚。
外に出てきて車に乗る前に見かけた蝶のペア。蝶は「変容」のメッセージ。
ホタルブクロ。久しぶりに見ました。ホタルをこの中に入れて持ち歩くからホタルブクロって名前がついたって昔聞いたような気がするけどほんとかな?(笑)
奥宮から降りてきたらもう14:30近くて。遅いお昼ご飯を食べにこちらのお店に。
みんなでほうとう食べました(^^)
ちょうど夫からメッセージが来てて
こんな他愛もない普通のやり取りしてました。まさかこれを最後にしばらくメールもできなくなるとは思いもよらず…(>_<)
ほうとうを食べたあとはそのまま裏に回って北口本宮浅間神社へも参拝。
大きな杉の木や立派な手水舎に薬さんも感激しまくり(笑)
そのあとは娘が大好きな忍野八海へ。
みんなでイワナの塩焼きを食べたあと、池を散策。
しかし…外国人の多いこと(^◇^;)
特に中国系の人が多く、イワナの塩焼き売場のおばちゃんは中国語ペラペラでした(笑)
雨も上がり、気温も高くなく、散策してても暑くない気持ちのいい日でした。
この時点で17:00を過ぎていたので、20:00のレンタカー返却は間に合わないと思い、レンタカー屋さんに連絡して翌日の返却にしてもらったので、帰りは箱根で温泉に入ってから帰ることに。もともと温泉は行く予定で、着替えなどは用意してましたけどね。
山中湖から御殿場を抜けて箱根に着いたのが19:00過ぎ。お風呂に入ろうと荷物を持ってふとカバンから携帯を出すと、未登録の番号から着信が3回もある…。なんだろうと思ってかけ直してみると、夫が入院している病院でした。
…この時点で嫌な予感しかないんですよ(^^;;
明日の昼には退院って言ってて、この時間に電話がかかってくるってただ事じゃないですよね…。
入院している病棟のナースステーションにつながったら「奥様。いまから病院にお越しいただきたいんですけど」
…ますます嫌な予感…(ー ー;)
「いや…今箱根にいて、すぐ行くのは難しいんですけど…」と答えると先生に代わってくれて、「ご主人と明日、退院というお話をしていたんですが…先ほど容態が急変しまして、現在は重症患者用の部屋に移動してます」
「は??」「どういうことですか??」
そこで医師の口から夫が脳内出血を起こしたことを言われ、詳しいことは来院してから説明するから、何時でもいいので来てくれと。
ええええ〜〜!!と思いつつ、子どもたちと薬さんに「温泉中止。パパの容態が変わったから帰るよ」と言いながら車に乗り込み、帰宅ルートへ。
雨が降ってる山道をひた走り、千葉に向かいます。朝の大渋滞がなんだったの??と思うほどスムーズに進み2時間半で夫の入院先に到着。
そのまま子どもたちと薬さんも一緒に先生の話を聞きました。
夕方の時点では何の問題もなく、翌日の退院と来月の外来の予約も取って、シャワーも浴びられたみたい。
ところが夜の19:00過ぎに看護師さんが血圧を測りに来たら、様子がおかしいので先生を呼んでMRIを撮ったら、右脳内から出血。
慌てて処置していたら、またもや様子がおかしくて再度MRIを撮ったら今度は左脳内からも出血(>_<)
先生も「こんな20分ほどの間で左右から出血するなんて初めてです」というくらい。
脳梗塞は軽かったけど、血栓を溶かす薬が出血しやすいというリスクを伴うのと、長年の高血圧と喫煙のせいで血管がモロくなってたようです。
説明を受けて同意書にサインしたあとに面会させてもらったけど、意識はあって私たちのことは認識しているようだけど、目は焦点合ってないし、言葉は出せないし、一気に重症患者になってしまいました。
…ほんと人っていつ何か起きるのか分からないんですね(>_<)
花嫁お仕立て師/記念日スタイリスト®◇そうますずよ
JUGEMテーマ:日記・一般
関係者の方や個別にメッセージを下さった方にはご連絡しているのですが、今後のこともありますので、この場を借りてご報告させていただきます。
実は、夫相原清猛が8/5から入院しておりまして、本当は8/12に退院できるはずだったのですが、前日の夜に容態が急変し、脳内出血を起こして一気に重症患者になりました(>_<)
もともと8/3頃から呂律が回らない状態で軽い脳梗塞を起こしていたのですが、経過も良く、12日に退院の予定でした。
ところが前夜19時頃に様子がおかしいのを看護師さんが見つけてくれて検査したところ、右脳内に出血が見られ、それから10〜20分の間に左脳内にも出血が起きたようです。
今すぐ命に関わる状態ではないけれど、高血圧+喫煙で血管が弱ってたのと、脳梗塞治療で血液が固まらない薬を飲んでたので出血しやすいらしく、今後も出血が増えればどうなるか分からないみたいです。
左右の脳内出血は初めてのパターンだと医者も驚いてました(>_<)
現在の夫の状態は四肢の麻痺(左手足は少し動く)と言葉がまったく話せなくなりました。
私の仕事に関しては今まで通り進めていきますが、体制を変えていくようになります。
現在お引き受けしている前撮りなどは他のカメラマンを手配して予定通り行います。
個人事業主の夫婦で、お恥ずかしながら金銭的な余裕がなく、自由に使える現金や貯蓄もないことや、お金を借りる事が出来ない状況のため、今まで以上に稼ぐ必要が出てきました。
そして今まで1人で頑張ってきたことを手放し、時間も確保していかないといけないため、今後はいろんな方にお力をお借りするようになると思います。
今まで職人として現場にこだわって仕事をしていましたが、今後は社長業的な役割を中心に、仕事を動かして行くようになります。
今はまだ頭が整理しきれてないので、何をどうお願いしたらいいかまとまってないのですが、今後はそれぞれお願いできることはご相談させていただくと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
今までは「助けて」って言えなかった私ですが、もうそんな事を言ってられなくなりました。皆さまいろいろと助けてください(>_<)
花嫁お仕立て師/記念日スタイリスト®◇そうますずよ
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先日、友人のウェディングプランナーたち3人と箱根神社に行ってきました。
数ヶ月前に3人でランチした際に神社の話で盛り上がり「箱根神社に行ったことな〜い」というので「じゃあ案内するよ」と日程を調整し、レンタカーを借りてドライブ。
下は晴れてたのに芦ノ湖についたら霧がすごくて(笑)
まあ、そんなことは気にしない4人なので、そのまま箱根神社へ行き、まずは芦ノ湖近くの鳥居からスタート。
この時点で風と霧雨が強く「わ!浄化だ浄化!」なんて笑ってたんですが(笑)
杉並木も霧がかかって神秘的。
箱根神社の境内もうっすら霧がかってます。
雨のせいか人も少なくていい感じ(^^)
お隣の九頭龍神社は拝殿ができたので雨でも平気。
みんなでご霊水もいただきました。
まずは記念撮影(笑)
そこから車でプリンスホテルの駐車場に移動して、ロープウェイで駒ケ岳山頂の箱根神社の元宮へ。
実は、チケットを買う際に売り場のお姉さんに「今日は天候が悪く、山頂は雨と風が強くて濡れるかもしれません。後、今日は神主さんがいないので中には入れないですが…」と言われたのですが、4人とも「あ、大丈夫です」とそのままロープウェイへ
本当に霧がすごくて、斜面を登ってても何にも見えない(笑)前も横も後ろも下も真っ白けっけ(^^;)
山頂についてロープウェイを降りた瞬間から風と雨がぶわ〜〜〜っと(笑)
外に出たら下以上に真っ白で、ほんと「なんも見えねえ」って感じ(笑)
お社に行くか迷いましたが、ここまで来て行かないのもなんだし、一歩踏み出すも道がまったく見えない…。かろうじて道を知ってる私が誘導して進みますが、ちょっと離れると友達の姿すら見えない。
一瞬「こんな状態で連れてきちゃって、みんな文句言わないかしら??」と不安になったのですが、3人とも「わ〜!!こんな経験めったにできないよね〜〜〜!!」とめっちゃ喜んでるし(笑)想像以上に変わり者…あ、いやツワモノでした(>▽<)
ホントだったら背景に山の稜線とか見えるんだけどね(笑)
鳥居のところまで来てもお社が見えない(--;)写真で見るとうっすら見えますが、肉眼では全く見えませんでした(笑)
鳥居をくぐるとド〜〜ン!!って感じで霧の中からお社が登場!3人は「カッコイイ〜〜!」と、ここでもテンション上がる(笑)
まるで異世界に迷い込んだような不思議な感覚でした。
前回の時は周りが見えないくらいの感じだったのですが、今回は道すら見えない(笑)
でも、「道は見えなくてもそこにある」「進むべき道は自分はわかってる」「周りを見渡す必要がない」「一歩進めば道は開ける」「今ここに集中する」というようなメッセージをそれぞれが受け取ってたみたいです。
本当は九頭龍神社の元宮にも行きたかったのですが、雨がかなり強くなってきたのと、午後に予定があったので今回はあきらめました。
そのあとは強羅に移動して、プロジェクトミーティング。
前回の4月に行った時にはオーナーが帰国してなかったので、今回改めて顔合わせと工事現場の進展状況を見に行くとシェフからお誘いがあったのですが「すずよさん、7/12に箱根に来れますか?」と連絡がきたときに「ええ〜!!私その日にプランナー3人連れて箱根神社行くんですよ!」「じゃあ連れてきちゃいなよ」とタイミングがバッチリすぎてびっくりしました。
というのも、当初は6/30に行こうかという話になったのですが、一人仕事で都合がつかず再度日程調整したら、ミーティングと日と被るなんて!!もう箱根神社のお導きとしか思えません(>▽<)
しかも強羅に降りてきたらこの天気。さっきの濃霧は何だったの??と4人で大騒ぎです(笑)
オーナーのマンションでシェフが作ってくれたおいしいブランチを食べ、みんなで雑談した後にミーティングルームへ移動してミーティング。
初顔合わせとは思えないほど、みんなの意識と方向性がピッタリ合っていたのであっという間に話がまとまり、次回のミーティングの日程を決めて解散。
そのあと強羅の駅から見上げた空には龍神が現れてました。
こんな龍神は初めて見たとみんなで感動。
とっても中身の濃い一日になり、感動冷めやらぬまま東京へ戻ってきて解散しましたが、連れて行ったプランナーさんたちも「まさかこんな流れになるとは!!そうまさんの引き寄せハンパない!!(>▽<)」と大興奮でした。
前回の会場視察の時にシェフたちコアメンバーを箱根神社にお連れしたことで、こんなスムーズな流れにつながったんだなあと感じます。本当に「何かを始めるときに行くといい神社」というのを実感しました。
思い返せば6年前の夏、ふと思い立って家族で箱根神社に行ってから私の仕事の流れもガラッと変わりました。それから箱根神社はよく行く場所になり、大好きな場所の一つです(ほとんど神社がメインなのであまり観光してませんがW)。
そんな大好きな箱根でとっても素敵なプロジェクトに参加できて、今後お仕事をして行けるなんて本当に嬉しいし、様々なご縁に感謝です。もうちょっと形になったらまたご紹介していきますので、時々ブログをチェックしていてくださいね(^^)
花嫁お仕立て師/記念日スタイリスト®◇そうますずよ