ヘア・メイク・着付のプロフェッショナル
【記念日スタイリスト®】
写真撮影ディレクションなどの知識や多方面からの視点をもつ
「記念日の専門家」
プライベートでは小6女子と小4男子の母。
神社めぐりと猫が好き
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肺ガンを患った父は、しばらくすると少しづつ身の回りの事を整理し始めました。
うちの父は自営業でブロック積んだり、カーポートやベランダ作ったり、いわゆるエクステリアの仕事をしていて。
そのおかげで私は幼稚園の頃から休みの日に父の現場について行って、セメント捏ねたり、ブロック塀の目地切りしてました。(←コレってかなりスゴイ事らしいw)
千葉県の印旛沼近くに資材置場用の土地を持っていて、そこにトラックや発電機、ブロックやセメントなど仕事に必要なものが一式置いてあり、それをしまうトタン屋根の掘っ建て小屋は父が自分で建てたもの。
子供の頃はそこで遊ぶのがすきだったな〜!セメントの材料で砂を大量にストックしてあるので、私からしたらそれはもうマイ砂場!!1人で黙々と遊んでました。←さすが1人っ子。誰もいなくても独りで遊べます。
いらない廃材を燃やして焼き芋したり、春にはゼンマイやワラビを母と一緒に摘んでみたり、竹やぶもあったのでタケノコも取れてた気がする!
ローラースケート持って行って、1人で印旛沼公園まで行って滑ってりしたっけな〜。…今思うと怖いけど(^^;)
入退院を繰り返していた父は、さすがにもう体力仕事は出来ないし、土地を売ろうと思ってた頃に、ちょうど土地を探している人と出会ったらしく、すんなり売れて喜んでました。そのあと「こんな機会は滅多にないから」って帯のかかった札束も見せてもらいました(笑)
私は母がなんとか工面してくれたお金で東京・代々木の美容専門学校に通っていて、1学期が終わる事にクラスメイトから紹介されたメイクスクールにも週一で放課後に通ってました。
そのメイクスクールは生徒を口コミでしか取らないというこだわりの先生で技術レベルも高く、基本のコースが終わる頃に上級者コースに通うかどうか迷ってた時。
授業で使うスタインという海外のメイク道具を揃えなくてはならないんですが、それが当時16万くらいして、親に反対されて諦める人も多かった様なのですが、うちの父は「それがお前の仕事に必要ならば買え。仕事をする上で道具は必ず必要になる」と言って、購入してくれました。
多分、父も自営で道具が無いと仕事が出来ないので無理して購入する事も多かったからなんだろうなぁと思います。
あと、18歳の春から教習所にも通わせてくれて、夏ごろには軽自動車も買ってくれました。私の友人からのおさがりの中古車ですけど。
その頃は父も再就職をして、体力をあまり使わない警備の仕事をしてたので、そこそこ収入もあったみたいです。
相変わらず母は泊まり込みで仕事してたので、家には私と父と祖母で生活してました。
もともと私は父が大好きで小さな頃から父にばっからくっついてたみたいです。
流石に中学生くらいの頃は多少の反抗期もありましたが、それでも大して逆らうこともせず、仲のいい親子だったと思います。
専門学校を卒業して、美容師になった一番最初のお給料を渡した時、父から手紙をもらいました。